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関西アラカルト 

kamakun.exblog.jp

千年の都が、はんなりと桜色に染まります。古社や名刹の桜風景は、たおやかで幻想的な趣きがありますお楽しみ下さい。なお画像は今まで撮影した画像も有りますので気軽にお問い合わせ下さい。

河津桜は、静岡県河津町の「桜祭り」が有名です。
そんな河津町から寄贈された桜が、箕面市(大阪府)にあります。
場所は、みのおキューズモール(旧ビィソラ)です。

先週から蕾が膨らんでおり
開花の日を待ち遠しくしていました。
金曜日、用事のついでに歩道側にある桜を見ると数個が咲いていました。

周辺には、メルセデス・ベンツやアウディの車のお店がありますが、
敷地にはオオイヌノフグリなど春の花が斜面にいっぱい咲いています。
三寒四温で、また寒い箕面ですが、
ヒメジョン、ホトケノザ、梅などが咲いており、
春は確実に訪れています。

マクロ撮影には、大変ですが、
河津桜は、強い風に揺られながら健気に咲いていました。

(撮影日 2014年3月9日)
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# by ka-ma-kun | 2014-03-10 20:33 | 大阪
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冬枯れの季節でも
艶やかな彩りを添えるお花です。

(大阪万博公園にて)
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# by ka-ma-kun | 2014-03-06 08:46 | 大阪
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24ヘクタールの広さがある綾部山梅林は、
梅酒になる白梅の玉英が目につき、
山の斜面が白梅のベールに包まれ、
そのベールに色を添えるように
自然交配様のピンクや紅いろの梅が
アクセントになっていました。
現在は、約25000本の梅が植栽されているそうです。

今は市町村合併をして
たつの市になりましたが、
以前は御津町として「御津の黒崎の梅林」などとも言われていました。

遠浅の新舞子の海岸近くに綾部山梅林があるので
大阪から梅を見ながら
潮干狩りを楽しみに行こうと
気の早い方がおられます。

綾部山梅林の西側には、
「世界の梅公園」があります。
こちらは中国風の建物があり約350種類の梅の木がいっぱいでした。
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# by ka-ma-kun | 2014-03-04 08:58 | 神戸・兵庫
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関西の梅の情報です。
クリックしてお楽しみ下さい。




関西梅情報
京都北野天満宮(21画像)50種類 2000本
京都梅宮大社(6画像)35種類 500本
京都京都府立植物園60種類 150本
大阪大阪城公園93種類 1250本
大阪大阪万博記念公園(5画像)92種類 650本
大阪大阪天満宮(20画像)約20種類100本
大阪日本民家集落博物館・服部緑地(豊中)約200本
大阪水月公園(池田)約200本
大阪千里南公園
約150本
兵庫緑ヶ丘公園(伊丹)(10画像)50種類・約400本
兵庫綾部山梅林(たつの市)約25000本
兵庫世界の梅公園(たつの市)約350品種

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# by ka-ma-kun | 2014-02-27 15:56 | 梅の名所 関西 
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空中庭園と呼ばれる梅田スカイビルは、
建設して20年近くにまります。
左右にビルを建て、
最上階の部分は、
朝から数時間をかけて、ゆっくりと上がっていきました。

オープンしてからは、食事をする場所、
仕事に訪れる場所、
希少な映画上演はもちろん
最上階からの夜景や、夕日を眺める場所と身近なビルです。

そんなビルが、「世界を代表する20の建造物」に選ばれ、
海外では「未来の凱旋門」とも紹介をされてから
観光客がまた増えています。
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# by ka-ma-kun | 2014-02-26 11:07 | 大阪
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平安京造営(794~)の最高責任者、和気清麿公が今の愛宕神社の前身、愛宕山白雲寺などとともに建てた愛宕五坊の一つです。
「高雄山寺」とよばれましたが、天長元年(824)、高雄山寺は河内(大阪府)の神願寺(清麿公創立)を合併し「神護国ソ真言寺」と称したそうです。
和気一族は、叡山の最澄(伝教大師)や空海(弘法大師)をこの寺に招いて活躍の場とされたため、時の仏教界に新風を送ることとなり、平安仏教の発祥地となりました。
弘法大師は唐(中国)より帰朝して、大同4年(809)に入山し、14年間住持され、真言宗立教の基礎を築かれ、後の東寺や高野山金剛峰寺と並ぶ霊刹です。弘法大師が初代です。厄払いとして「かわらけ投げ」が出来ます。(観光パンフレットより)
2004.10.17に撮影をしてみました。
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# by ka-ma-kun | 2014-02-26 10:57 | 京都
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ブログの更新を長らく休んでいました。
サイトをご訪問して下さる方々に
ご心配をいただきありがとうございます。
私は、元気に諸用と睨めっこ中です。
大変申し訳ありませんが、
今しばらく漸次更新となります。

よろしくお願い申し上げます。

雪の瀧安寺(箕面市)です。

関西の風景をご紹介します。


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# by ka-ma-kun | 2014-02-24 15:28 | 大阪
東日本大震災により
被害を受けられたみなさまに
謹んでお見舞いを申し上げます。

阪神・淡路大震災を体験した私です。
1日も早い復旧を
心からお祈り申し上げます。

震災直後、生き残った者は、
「命だけでもあったから。」と思い、
やがて、「私だけ申し訳ない。」と思いました。
震災後半年、一年と経つと、
心では葛藤が起きます。
そんな時、
子共は、赤ちゃん返りをしたりしました。
皆様、くれぐれもお体を大切になさって下さいね。

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(在りし日の仙台を偲びお届けします。)

風景やネイチャーなどの
ブログが更新できないため
新しくこちらのブログで更新させていただきました。
ご心配をいただきありがとうございます。

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# by ka-ma-kun | 2011-03-26 06:38 | 仙台
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二尊院を抜け嵯峨野工房を通り、皇族がお忍びで寄られたお店を見ながら平家物語ゆかりの祇王寺へ向かいました。(メニューに皇族のお名前がついています。)奥嵯峨野で隣には滝口寺があります。
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ここには白拍子「祇王」の悲しい恋の物語があるのです。
平清盛が愛した美人で歌舞が上手な白拍子「祇王」という女性がおりました。大きな住まいをあてがわれ寵愛を受けていたのです。しかし・・・ある時、平清盛に門前払いされた女性が可哀想でとりなし逢わせたら、なんと清盛はその白拍子仏御前に心変わりです。清盛は、白拍子仏御前が「祇王」に遠慮して寵愛を受けられないならと祇王を屋敷から追い出しました。
祇王は、清盛の心が離れてしまったので悲しみの余り髪を剃り母、妹の三人で都から追われるように嵯峨の往生院に入り尼となりました。ここ奥嵯峨に庵を開いたのでした。
 
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しかし、清盛は捨てた祇王に「仏御前が暇にしているから歌舞に来い。」とお使いをよこすのです。
逢いたくない祇王でしたが、母の説得で、出掛けて行き、舞台の角で惨めさを味わうのです。
 そんな祇王の悲しさを見て仏御前も半年後に世の常を感じて尼になり、祇王を訪ねやってきました。
 祇王は、仏御前を優しく迎え入れるのです。祇王の心の広さ賢さにただただ感激です。
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竹と楓の中に萱葺きの本堂はひっそりとたたずんでいます。履き物を脱ぎ本堂をに上がると、清盛、祇王、妹の祇女、母の刀自、仏御前の木像が安置されており説明が流れてきます。
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その奥の部屋の丸窓から眺める風景は素敵です。「虹の窓」は大きな円窓で光の具合で明るく染まります。
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清盛の供養塔や祇王、妹の祇女、母の刀自の墓にお参りをしてきました。
 静寂な庭にヒラリヒラリと舞散る紅葉が、一枚、また一枚と苔の上へ散り急ぎます。ついつい人の世の移ろいとの庭の移ろいを重ねてしまいました。
 この世の全ての現象は、絶えず変化をして留まる事がないという。平家物語の「祗園精舎の鐘・・・」の言葉を噛みしめながら、また平家物語で滝口入道時頼と建礼門院の侍女、横笛との悲恋物語の舞台になった「滝口寺」へ向かいました。歩いても数歩ですから小倉山の麓で悲恋物語のヒロイン巡りです。
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祇王寺は真言宗の尼寺で、本尊は大日如来です。正しくは「往生院祇王寺」です。
法然の弟子「念仏房良鎮が創建した往生院があったとこでその草庵の一つに祇王が1178年に隠遁したので「祇王寺」となりました。寺号は「平家物語」です。
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# by ka-ma-kun | 2004-12-15 04:23 | 京都
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京都の奥座敷」山里大原へひなびた情緒を味わいに出掛けました。
JR京都駅や京阪出町柳駅、地下鉄からバスが出ていますが、本数が少なく限られるので今回は車にしてみました。名神京都東インターを降り、山科、南禅寺前を横切り、真如堂・銀閣寺、北白川、修学院離宮を抜け大原へ車を走らせました。まだ比叡山へ向かうケーブルあたりの紅葉もまだ楽しめました。
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御殿門
駐車場は、有りませんが近隣はいろいろとあります。お寺の外れは300円、近づくに連れて400円、500円とありました。私は、お店でコーヒーを飲むと無料の言葉につられて利用をしました。(失笑)
往き道京都東のインターで料金を払い、窓ガラスを閉めようとすると、締まり方が遅く気に掛かるので今回は予定を変更して三千院のみしてその後は自動車の整備に出掛けました。またトラブルの旅でした。いつも臨機応変の旅です。(失笑)
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当初の大原の散策予定は、
①平成12年に焼失し気になっていた尼寺。建礼門院が平家滅亡後に余生を送った寺で静謐(せいひつ)な庭園を楽しめる「寂光院」
②竹林が有名で室内から眺める額縁庭園としてCMやポスターなどでよく見かける「宝泉院」
③時間の余裕があれば、勝林寺・紅葉と不断桜が咲く「実光院」・來迎院、龍宮造りと紅葉が楽しめる「阿弥陀寺」・・・全て予定変更です。おまけに観光バスが止まっていた「しば漬け」のお店など美味しそうだったなあ。素敵なスポットがいっぱいでした。自宅の近くまで帰り整備に出掛けると「ゴムが古くなってセーフティーがかかっています」と言われ拍子抜けし、珍道中に泣き笑いです。
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有清園と往生極楽院を金色水から撮影をしました。手前は石仏です。

大原女」になりそこなった旅でしたが、細波の滝の流れに耳をかたむけながら、古木の杉木立が鬱蒼と繁茂し、足下には一面の苔が敷き詰められた「東洋の宝石箱」とうわれているお庭を思う存分味わいました。
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敷き詰めた苔に散り落ちた紅葉も趣があり「上品」で「おくゆかしい」と言う「たおやか」って言葉がピッタリのお庭でした。
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そんな苔むした静寂なお庭に石仏があり心が「ほっこり」とし、思わず微笑みがもれました。
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観音堂

①せせらぎを聞きながら階段をあがるとすぐ三千院門跡ですが、門跡前には飲食店やお土産やさんが並んでいました。
②福寿延命のご利益に授かれるという「金色水」が紅葉の上に流れて清冽でした。
③地元では「翁地蔵さん」と呼ばれている仏像があります。水をつけると子供の夜尿症が治るという言い伝えもあるそうです。大きい仏道で温かい感じがしました。
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有数の観光スポットで、歌詞に唄われたこともあり有名な寺ですが改めて歴史を紐解いてみました。(観光パンフレットをより)
 大原の地一帯は、千有余年のむかしから漁山と呼ばれ、天台声明(仏教音楽)の修行の地として信仰を集めた所です。本尊は薬師瑠璃光如来(秘仏)です。
 伝教大師最澄上人(767~822)が開基で比叡山東塔に一堂を建てたそうです。清和天皇の命により、滋賀の坂本梶井に移し、その後梶井御殿、梨本門跡と呼ばれていましたが、応仁の乱で焼失したのでこの地へ移りました。三千院は別名を梶井門跡、梨本門跡、円融院門跡とも呼ばれ、青蓮院、妙法院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつです。平安時代に皇子皇族が門主となる宮門跡となっています。
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国宝阿弥陀三尊像が大和座りしている往生極楽院
往生極楽院は、平安時代の寛和二年(986)に建立された三千院の源ともいえる単層入母屋造柿葺の御堂です。恵心僧都が父母の菩提のために姉安養尼とともに建立したと伝えられています。御堂内部の船底天井および壁画は極楽の花園の図を、極彩色で描いてあるそうです。阿弥陀如来座像を中心に、向かって右に観世音菩薩、左に勢至菩薩の阿弥陀三尊像(国宝)が大和座りと言う正座をした珍しい姿を拝見できます。
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客殿
 客殿では鈴木松年、竹内栖鳳など日本画家の襖絵や古文書を見たり、あるいは写経ができる円融房もあります。10名位の方が写経をされておりお邪魔をしないように後にしました。
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聚碧園
「有清園」と「聚碧園」2つの名勝庭園があります。客殿・見所台からは金森宗和作の聚碧園が拝見できますし、宸殿からは往生極楽院にかけて有清園が楽しめます。
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有清園にて
ここまで読んで頂いた貴方へ内緒話です。京都南インターは出口1と出口2があるのです。いつもは出口1を利用しますが、今回は出口2を利用しようと思いました。高速のスピードで出口の場所が近いのでカーナビに教えてもらえずに京都東インターまで行きました。山科と醍醐への別れ道あたりも混んでいましたよ。
このあたりからトラブルの旅のプロローグだったのかもしれません。トラブル続きでしたが、東山や嵐山とはまた違う京都大原の旅でした。しば漬けを食べながら移り行くこの季節と歴史楽しむ大原の旅も満足満足です。ボリボリ(笑)
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PS.今年は暖かく長い期間まで紅葉が楽しめました。でも京都の紅葉の締めくくりは、今が盛りの下鴨神社です。昨日も帰りは北大路を走り、堀川通りを下りましたが(京都では南に行くことを「下る」と言います。)、同志社大学側にある京都御所の銀杏が素晴らしかったです。(撮影日2004.12.11)

紫陽花としても有名ですので今度は石楠花や紫陽花の頃出掛けたいと秘かに考えています。
拝観料は、一般が600円です。参拝時間は、季節により30分早く閉まりますのでご注意下さいね。
住所 京都市左京区大原来迎院町540
公式サイト http://www.sanzenin.or.jp/
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# by ka-ma-kun | 2004-12-12 09:57 | 京都
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旧中山邸ですが、買い戻されて平成14年に140年ぶりに公開されているお寺です。今年も特別公開がありました。境内は、一面のカエデがお迎えをしてくれました。
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渡月橋を渡って左へ折れ左手に大堰、右手に料亭やホテルなどの静寂な一角にあります。
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道を隔て嵯峨湯豆腐がありますが、周辺には、吉兆などもあり食通にはたまらない場所です。
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おまけに、時代劇がお好きなら面白い遊びが出来ます。
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旧中山邸時代は、何といっても暴れん坊将軍・必殺仕事人・鬼平犯科帳・銭形平次など・・時代劇ロケの重要な場所でした。
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寺の境内では、悪代官や、刺客、密偵が行き交っておりまする。そう言う私は悪代官か柳沢吉保や水野に取り入ろうとする悪徳商人かもしれません。
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「●●様、お土産の菓子箱(中身は、小判)でござりまする。よしなに。」(笑)
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素晴らしい紅葉や庭園を散策しながら、時代劇の一コマを思い出してみて下さいね。
おっと、べっぴんが登場した向島の料亭なら思いだすって。それも一興ですね。
将軍、足利義政も惚れた場所です。紅葉のピークは過ぎていましたが、落葉した紅葉もあり楽しめました。

では、いつものように宝厳院パンフレットよりご案内です。(宝厳院パンフレット参照)
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(撮影日2004.4.16)

大亀山宝厳院は臨済宗大本山天竜寺の塔頭寺院で1461年、室町幕府の管領細川頼之公により天竜寺開山夢窓国師の第三世法孫聖仲永光禅師を開山に迎え創建されました。
 創建時は、京都市上京区に有り広大な境内を有した寺院でしたが、応仁の乱により焼失し再建され、豊臣秀吉より御朱印料三十二石を付与、徳川幕府も明治に至るまで外護した由緒寺院です。その後、変遷を経て天竜寺塔頭弘源寺境内に移転の後、現在地(旧塔頭寺院跡)に移転再興されました。
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(撮影日2004.4.16)

本堂には、本尊聖観世音菩薩、脇仏に三十三体の観世音菩薩、足利尊氏が信仰したと寺伝にある地蔵菩薩像が祀られており、西国三十三所巡りに等しいと伝えられてます。
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(撮影日2004.4.16)

獅子吼の庭は室町時代に中国に二度渡った禅僧策彦周良禅師によって作庭された名園で嵐山を巧みに取り入れた借景式枯山水庭園です。
「獅子吼」とは「仏が説法する」の意味で、庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴く事によって人生の真理、正道を肌で感じ心が大変癒される庭であす。
 庭園内には須弥山を現す築山、その前には人生を思わせる「苦海」(空池)が広がり対岸には「雲上三尊石」が有り海の中には、「此岸」より「彼岸」に渡る舟石、仏の元に渡る獣石が配置されています。また策彦禅師が命名された「獅子岩」、「碧岩」や「響岩」といった巨岩を身近に観る事が出来る。回遊路の途中には「破岩の松」が天に向かって真っすぐ生えているのを見ると「願心」の大切さを痛感します。
 また、この庭園は江戸時代、京都の名所名園を収録した「都林泉名勝図会」(秋里籬島著)にも掲載された名園中の名園です。
 春は新緑、秋は紅葉と一年を通して目を楽しませてくれます。

 門前には、「嵐山羅漢」が祀られていおり、「羅漢」とは釈尊の弟子で崇高な修行者、「悟りを得た人」を意味します。「五百羅漢」を天下の景勝地・嵐山に建立するする事により、人類の安心立命と嵐山の守護し、景観保全を祈念するとともに、有縁無縁の菩提を弔うものです。

夢窓国師曰く「山水に得失ナシ、得失ハ人ノ心ニアリ」

公式HP
http://www.hogonin.jp/
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# by ka-ma-kun | 2004-12-10 18:18 | 京都
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法然寺は、「善気山法然院萬無教寺」が正式名です。哲学の道を鹿ヶ谷の善気山の麓にある閑静なお寺です。「法然院」の周囲には、銀閣寺・真如堂・永観堂・南禅寺など観光客の心をくすぐる名刹が周囲にあります。
このお寺もCMにも登場しましたが、本当に落ち着けるお寺です。
平成11年秋のJR東海のCMにも登場したり、また企業のCMにも登場しました。
http://www.wordlinker.co.jp/tvcm/cm_download.html
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紅葉で彩られた山門をくぐると、台形をした二つの白砂の砂壇が見えます。一つには、水を象徴する砂紋が描かれおり、いま一つには季節の草木などが描かれています。
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この左右の砂壇は水をあらわし、間を通ることで参拝者の心を清めてくれます。私も通ってみましたが、静寂な空間でついつい心が落ち着き、時間が止まりしばらく佇んでいました。
また、「細雪」などの作家「谷崎潤一郎」のお墓も有ります。
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私は、季節を感じるこの砂壇の模様が大好きです。
もう5時で薄暗い中、フラッシュ無し、三脚無しで、強引な撮影でした。
もちろんこのお寺も三脚は禁止ですが、でもそれ以上に大好きな場所です。
新緑の頃は葉の模様、椿の模様・・・さあ、次は何が拝見出来るかしら。秘かな楽しみです。
(撮影日2004.11.29)
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# by ka-ma-kun | 2004-12-05 22:01 | 京都
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(提灯をご覧下さいね。「烏」です。)
熊野神社、若王子神社、新熊野神社京都三熊野です。
社伝に寄れば、紀州熊野本宮を勧請したことに始まります。
聖護院を建立すると鎮守神となりましたが、応仁の乱により焼失し、聖護院宮の道寛法親王によって再興されました。
かつては鴨川までの広大な神社でした。(境内の案内板から)
京都のお土産と言えば八ツ橋です。この神社は、八ツ橋発祥の地です。境内には、八ツ橋発祥聖護院森跡を示す石碑と、
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聖護院村の八ツ橋屋に生まれ「八ツ橋の発展に尽力」し、西尾八ツ橋の中興の祖と言われた「西尾為治」の銅像があります。
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左京区聖護院山王町です。三脚は使えます。
八つ橋の本店です。(神社とは東大路通をはさんであります。)
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東山には「新熊野神社」もありますが、そちらは「いまくまのじんじゃ」です。
~~京に八ツ橋あり~~
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# by ka-ma-kun | 2004-12-02 02:05 | 京都
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下御霊神社は、藤原仲成の陰謀の犠牲となり川原寺に幽閉され自殺した桓武天皇第3皇子伊予親王と、その母藤原吉子の霊を慰めるため、839年に出雲路に創建されたそうです。
御霊神社の南にあり下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、
以後、社地を転々とし上御霊神社とともに皇室の産土神として崇められています。
1590年、豊臣秀吉が、現在地に移転をしています。
1790年には、宮中の賢所御殿を移築し本殿にしました。表門は皇居の建礼門を移したもといわれています。
また三六霊元天皇は、当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めています。

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なお祭神は、崇道天皇(早良親王)、吉備真備、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麿、火雷天神を加えて八所御霊としています。
境内の垂加社には、江戸時代の国学者、山崎闇斎も祀ってあります。
(境内の説明より引用)

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交差点の角には、布などのお店がありますが、神社は丸太町通りを下った(京都では南行きを下ると言います。)場所で「ほっとする空間」でした。
参拝した時は、観光客が少なく玉砂利を踏みしめる音と、落ち葉をはく竹箒の音が境内に木霊していました。
紅葉が、本殿の屋根にかかり趣があり、ついつい見上げてしまいました。

拝観料は無しです。
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# by ka-ma-kun | 2004-12-01 00:23 | 京都
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実相院は、もとは天台宗の寺門派でしたが、今は単立寺院だそうです。
鎌倉時代1229年に藤原(鷹司)兼基の子、静基僧正が北区の紫野に創建されました。いちど御所の近くに移り、その後応仁の乱を逃れるためこの地へ移ったと言われています。
後西天皇の皇子義延入道親王が入寺され、門跡寺院となり、岩倉門跡岩倉御所とも呼ばれています。

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東山天皇の中宮・承秋門院の旧宮殿、大宮御所の「客殿」・「御車寄」・「四脚門」を1721年に移築しました。今では現存する数少ない女院御所で宮廷文化を今に伝える建物も楽しめます。
庭園は、善阿弥の孫又四郎の作です。

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実相院日記などの古文書や展示物、そして狩野探幽など東西の狩野派の襖絵や障壁画があります。(説明文はパンフレットより引用しています)

岩倉具視もここを借りていて住んでいたらしので、坂本竜馬も尋ねていたのですね・・

日記では、近藤勇など新撰組など幕末の動乱を垣間見ることができます。
「嵐山に長州が陣を置き・・・」をガラス越しに拝見出来ます。
また意外 だったのは、彗星の話と屏風でした。
屏風もコバルトブルーの夜空に一面の星空です。
天の川もあり満天の星空から思わず北斗七星をさがしてみました。大きな屏風から見つけた時は嬉しかったです。
屏風の夜空を見ながら、つい大阪市立美術館で見たフェルメールの絵画「真珠の首飾りの少女」が身につけた青いターバン色を思い浮かべました。
こちらの方がちょっとダークブルーかな?・・・ってついつい想像をしました。
あのフェルメールのブルーは、製作当時では貴重で高価な絵の具だったので、絵画値段の決め手になるほど宝物だったらしいです。
今回も目の前で綺麗なブルーを見を眺めると、やはり値段が気になり、ついついそろばん勘定をしています。
なんと無粋なこと・・「ごあさんにねがいましては・・・」にしなくっちゃ。

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今回は、有名な「床紅葉」と言われる紅葉に染まる床が見たくて出掛けましたが、日記や屏風やふすまも楽しめました。

PS・今回も展示物などの撮影は禁止です。三脚は受付で預けますので撮影には注意が必要です。
でも、京阪の洛楽チケットで拝観料が割引なんてなんとラッキーなんでしょ。
紅葉も良かったけど歴史も十分楽しめました。

(画像の撮影日は、全て2004.11.21です。)

実相院のHP
http://www.jissoin.com/
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# by ka-ma-kun | 2004-11-28 09:48 | 京都
二上山を背景にボタン中将姫で有名なお寺です。
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612年、聖徳太子の教えにより、弟用明天皇第三皇子麻呂子親王が河内に万法蔵院を建立しました。
その後、681年、麻呂子王の孫當麻国見が、役の行者開山の地へ移し當麻寺となりました。
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金堂、講堂が南北に一直線に並び金堂の南方両側に東西2つの三重塔が建ちさらに本堂、薬師堂、仁王門などが独得の伽藍配置で建ちならんでいます。とくに古代に建立された東西両塔が完備している姿は全国でも當麻寺だけとして有名で国宝です。
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宗旨としては初め三論宗を奉じていましたが弘法大師が参籠してから真言宗にかわり鎌倉時代には浄土宗の霊場ともなり、以後現在まで真言浄土の二宗を併立し八ケ寺の塔頭(寺院)よりなる珍しいかたちになっています。
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また金堂にある弥勒仏座像や日本最古の梵鐘をはじめ数多くの貴重な寺宝を今に伝えており国宝・重要文化財に指定されているものも少なくありません。
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石灯籠」は白鳳時代のもので日本最古の石灯籠とされています。

ボタンの名所としても有名で4月下旬より境内にはボタンの花が咲き誇り落ち着いた雰囲気に色をそえています。5月14日には、中将姫ゆかりの”練り供養”が行われ全国から集まった参詣者たちで境内は大変なにぎわいとなります。
(仁王門前にある當麻町観光協会の案内より)
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藤原豊成(藤原鎌足の曾孫)の娘中将姫は、迫害を逃れ16才の時に當麻寺を訪れました。
強い信仰と仏菩薩の加護により蓮の糸で當麻曼荼羅をおられたそうです。
この話は、歌舞伎や古浄瑠璃にも演じられ語り継がれたそうです。
現在、中将姫伝説を題材に映画化され『死者の書』となりまた私達の前に登場するそうです。
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西南院は、関西花の寺第二十一番霊所です。春には、牡丹が有名ですが、先日からNHKの朝のニュースで紅葉が中継されていました。水琴窟の音を聞きながら紅葉を愛でる一時を大切にしたいです。
澄んだ音色は耳だけでなく心まで響いてきました。

公式HP
http://www.taimadera-nakanobo.or.jp/

9時半に出掛け京都の高雄へ出掛けるつもりでした。吹田の入り口で京都南の混み数キロを見て尻込みをしました。
なぜならばこの時間で交通規制などもあり、観光客でいものこを洗うような嵐山を車で抜ける事は無謀と考えました。
名神道の入り口から急きょ近畿自動車道へ路線変更をして南下をし柏原へ。
その先は名古屋へ向かう名阪道へ・・・「名古屋さあ~~。」まで行くと鬼が笑うと
♪ふんふんふん・・・しかの・・・ふん・・・へ♪

運転手も五月蠅いですが、今日の車はもっと五月蠅く延々と喋りっぱなし。
混んでます・・・故障車が有ります・・・落下物が有ります。右に寄って下さい。左へ車線を変更して下さい・・・・絶えず私に指令をしてくるの。
いつもは、「ルートを再計算します。」と怒らすのに、高速を降りての誘導を期待しているので今日は実に素直な運転手を演じていましたよ。
85キロで走っていたので、左右はドンドンと追い抜いていくの。
おいおいあんたらの車100キロかい?

10時半にはお寺でしたが。。。。
さあ。。。いきまっせ。

お茶でもと思い仁王門前でお店に入りました。注文をして席を替わったのが間違いの元。
つい帽子を横の椅子に置いて忘れてしまい、気が付いたのが・・・何と名阪道の高速を運転中です。
あかんがなあ。
帰って電話でもしようと安易に考えていたの・・・
しかし・・・・(失笑)
五木寛之が最近訪れたお店・・・仁王門の前・・・前は割烹菊●
斜めは酒屋さんはうえむ●酒店ここまで分かっているのに・・・
喫茶店の名前があやふやです。先ほどからこのHPも開かず調べていたのですが、電話番号が出てこないの。
ついつい五木寛之の「風の王国」や「百寺巡礼」を想像しながらその世界へ入り込み帽子の事なんかこれっぽちも気にせず撮影をしでおりました。(健忘症)

時間があれば長谷寺前でクズなどの食料品を買い、室生寺までと思いながら、当麻寺の仁王門前で柿の葉すしとにゅーめんを食べて「食欲の秋」は満足して帰宅しましたが、どじぶりに泣いてます。

あの帽子はどこへいったのでしょう・・・

映画のワンシーンのようにヒラヒラ中を舞うともっとすっきりとしたのに・・・

あ~~ん、悔しいわ。
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# by ka-ma-kun | 2004-11-21 23:36 | 奈良
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東福寺は、京都五山の一つで臨済宗東福寺派の大本山です。
摂政九条道家が、奈良の東大寺のような大きさと、最も盛大な興福寺のような寺を念願に、京都最大の大伽藍を造営し、それぞれから「東」と「福」で名付けたのが「東福寺」です。
1236年より19年の歳月をかけて完成し、1243年に聖一(しょういち)国師を開山に仰ぎ、天台・真言・禅の各宗兼学の堂塔を完備しましたが、相次ぐ火事焼失したので、禅宗寺院として寺観を整えています。
鎌倉時代や室町時代の国宝が数々あります。三門は国宝で、唐様、和様、天竺様の粋を集めたもので、禅宗寺院では最古の三門です。
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また、「紅葉の東福寺」と言われるほど、開山堂への回廊や通天橋から見渡す洗玉澗や庭園など一帯の紅葉天橋から眺める2千本ものモミジは百聞は一見の価値があります。
洗玉澗にある紅葉を下から眺める風景も素敵です。
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通天橋のすぐ脇には、皇族の方々の記念植樹があります。その前では記念撮影が盛んにされていました。
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紅葉の葉が三つに分かれて黄金色になる紅葉がありますが、聖一国師が宋から持ち帰ったと言われており「通天もみじ」と呼ばれていますので探して下さいね。
なお、東福寺の方丈は、四周全てに庭園があります。東福寺庭園の特徴の市松模様です。
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昔、このお寺では有名な桜があり見物客が押しかけて修行の妨げになると切り紅葉を植えました。でもまた見物客が増えると紅葉切ったそうです。
現在も、観光客で境内はいっぱいです。
何事にも潔さが必要かもしれませんが、私としてはこの風景を大切にして残して欲しいです。

このお寺もCMに登場しました。
http://www.jr-central.co.jp/museum/kyoto/autumn_1997_01.html
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2004.11.14現在の紅葉はご覧の通りです。
閉門間近でしたが、お寺の方に紅葉の見頃をお伺いしてみました。
お返事は、「23日頃が良いかもしれません。」と教えていただきました。お忙しい時に丁寧にありがとうございました。
なお、交通は、JR奈良線・京阪本線 「東福寺駅」下車、徒歩約10分でした。

この急激な寒さで情報が変わるかもしてませんからお出掛け前は事前にお調べ下さいね。
東福寺のサイト
http://www.tofukuji.jp/index2.html

ご注意・・三脚はご利用になれませんのでご注意下さいね。
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# by ka-ma-kun | 2004-11-15 17:21 | 京都
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日本初の弁財天で、1400年近い歴史があり、全国からの山岳信仰修験道の根本道場として知られています。

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650年に役小角(役ノ行者)が滝のそばで修行の後、滝の側に「箕面寺」として創建しました。空海日蓮蓮如などもここで修行したといわれています。

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南北朝の時に後醍醐天皇が隠岐の島に流された時、皇太子からの依頼で寺が書状お送り助け出したために天皇から「瀧安寺」を賜ったとも言われているそうです。

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しかし、織田信長の兵乱などで焼失し、江戸時代に阪急箕面駅から1キロの北のこの場所に再建しました。
本堂は、後水尾天皇の寄進だそうです。
また、江戸時代に寺社などで流行った「富くじ発祥の地」としても有名です。

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7日の採灯大護摩供「行者堂戸扉閉法要」は、現在も役の行者ゆかりの山伏姿の行者たちがホラ貝を吹き、古式通りに護摩供養が行われ、祈りの煙りが紅葉の木々の間から人々の願いをこめて空高く立ちのぼる様は神々しく、歴史の重みと幻想感でついカメラを置き手を合わしてしまいます。

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日曜日、滝の紅葉情報を見に出掛けましたが、猿と山伏を撮影していました。(失笑)

箕面公園の一角にあります。
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# by ka-ma-kun | 2004-11-12 14:46 | 大阪
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2004年11月5日撮影です。
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2002年11月16日の画像です。大阪平野の真北にあり箕面の滝のちょっと奥です。
奈良末期神亀4年(727年)善仲・善算両上人が草庵を構え、光仁帝皇子開成(桓武帝の異母兄)が弥勒寺と名付けました。
この寺の仏法の祈願力には時の朝廷の権力も及ばず、清和天皇の病気治癒を祈り効験したので王に勝った寺「勝王寺」の寺号を賜りました。しかし寺は王を尾の字に控え、以来「勝尾寺」(かつおうじ)と号しています。
1184年の源平合戦で焼け落ちましたが、源頼朝が再建し、現存する薬師堂は源頼朝、本堂に山門は豊臣秀頼の再建です。
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旧参道には寺までの距離を示す我が国最古の8基の石塔(町石)が現在も残っています。
源氏・足利氏などの覇者が勝ち運を祈り、今はスポーツや試験、選挙、商売など勝負の勝運の寺としても有名です。
石の階段を上がると、勝ちだるまが出迎えてくれます。
西国23番札所、法然上人第5番霊場、日本最初三宝荒神で日本三荒神としても信仰されています。(パンフレットより)
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(境内いたる所に達磨があります。おみくじも達磨です。)
箕面の紅葉は滝、瀧安寺、勝王寺など山一帯で楽しめます。紅葉の時期の11月になると土日・祝日には、9時から18時まで交通止めもありますのでご注意下さい。
なお楠木神社からキリシタンの里高山への道がありますが、皆さんこの道を走り混み合います。でも一番の原因は、箕面で有名な「猿」かもしれません。道路の端や真中で毛繕いをはじめ皆さん携帯を取り出し写真撮影になります。(失笑)

勝尾寺にあることば、
「すべては自分に勝つために」
誰に勝つより自分に勝つことが一番大切で難しいですね。

愚息も中学時代に学校で訪れ座禅をし、受験には勝ちだるまに願いを託しました。
春は桜、5月6月は石楠花、夏は紫陽花などお花も楽しめます。お遍路さんの参拝の中、
カメラを片手にふらりと出掛け、時間を忘れて何時も慌てる私です。
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# by ka-ma-kun | 2004-11-06 07:19 | 大阪
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先日、嵐山・高雄パークウェイをドライブをしました。保津峡展望台から、保津峡の川下りやトロッコ列車を眺めました。
 保津川は、遠く丹波高地を源流に亀岡市辺りから渓流になり、嵐山へ流れて行きますが、清滝川と合流する落合う辺りから嵐山までは特に嵐峡と言われています。
 天皇陛下や各皇族、そして各国の元首などがご来遊された場所で記念碑が建っています。
 鳥の囀りを聞き、吹き上げる風を頬に感じながら自然を満喫しました。( 撮影日 2004.10.17 )
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# by ka-ma-kun | 2004-11-04 13:07 | 京都
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時代祭で賑わう京都へ出掛けました。時代祭を見た後は、地下鉄東山線の上を歩き、都ホテルの前を通り、インクラインや南禅寺・永観堂・若王子神社をみて、運動不足の解消に京阪丸太町まで歩きました。
インクライントンネルを抜けると直ぐに疎水や哲学の道傍に明治天皇が使われた洞窟風の地下がありました。
そこを抜けると別世界、疎水と東山分水を取り入れた何有荘(かいうそう)の回遊式庭園でした。紅葉しているともっといいのでしょうが、京都御所を眼下に南禅寺の三門を見下ろす素敵な風景が楽しめました。紅葉のピーク時にもう一度行きたい場所です。
7百年の歴史を刻む6千坪の名庭園が、100年ぶりの特別公開です。
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# by ka-ma-kun | 2004-11-04 00:57 | 京都
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紅葉のこの時期、ハイカーは摩耶山や、海抜931㍍の六甲山に登り、京阪神間の大パノラマを楽しんでいます。
その途中にある六甲山の海抜865メートルにある高山植物園では、年間平均温度が9度と北海道南部のような気候を利用して、日本各地や、ヒマラヤやヨーロッパアルプスなど世界各地の高山植物や寒地性植物など、約1500種類が楽しめます。
六甲高山植物園のお花情報はここをクリックして下さいね。
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# by ka-ma-kun | 2004-11-04 00:18 | 神戸・兵庫
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'70日本万国博覧会会場跡は、甲子園球場65個が入る広さに国立民族学博物館や日本庭園、 自然文化園などがあります。
日本庭園の紅葉情報です。2004年10月下旬です。
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# by ka-ma-kun | 2004-11-01 12:51 | 大阪
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大阪と兵庫と京都の県境にある妙見山に出掛け紅葉を見てきました。
一時期滅びた能勢家を再興させた能勢中興の人頼次公が日乾上人に出会って日蓮宗に帰依し妙見大菩薩を祀ったことが始まりです。
近松門左衛門・勝海舟・坂田三吉も深く妙見大菩薩を信仰し浄水堂は第四代中村歌衛門が建てたそうです。

(能勢家は、足利将軍家に仕えてきたことから、織田信長からの上洛の申し出を断わりました。おまけに明智光秀と親しくしていたため本能寺の変で豊臣秀吉軍にことごとく焼き尽くされ姓も変え領地から離れて生き延びていました。しかし、徳川家康が京都の実相寺に立ち寄った時に偶然見いだされてかつての能勢氏の領地を賜った歴史がありまるで歴史の縮図みたいです。辛抱を教えてくれているようです。人生捨てた物じゃあないよガンバレってね。)

後、1週間先がいいかしら?地面に紅葉が散っている場所もありました。
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# by ka-ma-kun | 2004-10-31 19:23 | 大阪
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八大神社は、1294年の創建で、応仁の乱の兵火により焼失し、慶長元年(1596)に再建したそうです。
京都の表鬼門に位置したことから皇居守護神12社中の1社「北の祇園社」として天皇とも縁が深い神社です。

叡山電鉄「一乗寺」駅下車して、商店街を抜け東の比叡山の方へ向いました。
宮本武蔵が吉岡一門と決闘をした「一乗寺下り松」があり、観光客やタクシーなどで混み合う道をさらに登っていくと右手に詩仙堂、そしてその隣が八大神社でした。2003年、紅葉の季節に出掛けましたので、詩仙堂への長い参拝者の列をすり抜けて参拝をしました。
 吉川英治の小説「宮本武蔵」の中でも一乗寺下り松の決闘が紹介されていますが、武蔵21歳の時、境内であった下り松の下で吉岡一門と決闘をし、境内には宮本武蔵のブロンズ像もあります。
また、本殿横に奉られている初代の下り松を拝んでいると傍らに「薄墨桜の木」を発見し、春への思いをはせながら「武蔵悟りの地」を後にしました。
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# by ka-ma-kun | 2004-10-31 08:13 | 京都
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864年、円仁の遺志を受け継いだ安恵が天台宗の寺として創建しましたが、江戸時代中期に鉄舟和尚が再興し臨済宗南禅寺派となりました。
松尾芭蕉はこの地で
うき我をさびしからせよ閑古鳥」の句を詠み、これにちなみ「芭蕉庵」が建てられました。
荒廃しましたが、与謝蕪村によって整えられ、芭蕉庵の横には与謝野蕪村の墓があります。
また井伊直弼に関係し安政の大獄に関わり、舟橋聖一作「花の生涯」で知られるようになった「村山たか女」の縁の寺です。
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# by ka-ma-kun | 2004-10-31 07:06 | 京都
親鸞聖人が比叡山から、聖徳太子縁の六角堂に百日間通われる時に、この地が中間にあり境内からの湧き水で精気を養われた場所です。
ついつい紅葉に目が止まりました。
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# by ka-ma-kun | 2004-10-30 21:13 | 京都
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重要伝統建築物保存地区の街並みを通り抜け化野念仏寺に出掛けました。
吉田兼好の「徒然草」にも書かれた化野は、一面無数の無縁仏が放置された葬送地でした。
空海が如来寺を建て、法然上人が念仏道場を開き念仏寺を改めたそうです。
境内には石仏や石塔が一面あり、静けさが満ちています。
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# by ka-ma-kun | 2004-10-30 20:36 | 京都
2004.10.17に撮影をしながら今年の紅葉に期待をしました。
2002年は燃えるような紅葉で、2003年は葉が枯れて残念でした。
さあ、今年も諸々の事柄も染めてしまう紅葉狩りに出掛けましょ。
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# by ka-ma-kun | 2004-10-30 20:02 | 京都
2004.10.17に撮影をし、色づき始めた神護寺で「かわらけ投げ」をしました。
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# by ka-ma-kun | 2004-10-30 19:56 | 京都